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最高裁判所第二小法廷 平成元年(行ツ)59号 判決 1991年3月08日

埼玉県川越市大字今泉二二一番地

上告人

新井茂司

同所同番地

上告人

新井ちよ

右両名訴訟代理人弁護士

山田二郎

埼玉県川越市三光町三六番地の一

被上告人

川越税務署長 堀井勝男

右指定代理人

下田隆夫

右当事者間の東京高等裁判所昭和六二年(行コ)第七一号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成元年一月三〇日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人山田二郎の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。また、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)

平成元年(行ツ)第五九号 上告人 新井茂司 他一名

上告代理人山田二郎の上告理由

第一 原判決にはその理由に不備、齟齬がある。

一 本件は、更正処分等の取消訴訟であり、上告人茂司に対する更正処分の理由は、

「農協組合長在任中の片岡哲哉に対する貸付金が回収不能となり損害賠償責任を問われる前に農協から借入を行い片岡哲哉の債務を弁済したものであり、その債務は譲渡者の本来の債務であるので所得税法六四条二項に該当しません。」(甲第四二号証の一)、

また上告人ちよに対する更正処分の理由は、

「この資産の譲渡については、新井茂司殿との間で協定書を作成し、新井茂司殿は新井ちよ殿に損失を補償することになっているので、所得税法六四条二項に該当しません。」(甲第四二号証の二)と、いうものである。

これらの更正処分の理由は、原審でも被上告人によりそのまま維持されている(被上告人の昭和六三年六月一日付準備書面三枚目)。

そうすると、本訴では、右更正処分の理由の当否が審理の対象であり、これについて判断がされるべきである。しかるに、譲渡代金の被弁済債務が被上告人のいうように上告人らの農協からの借入金であったのかどうかの判断が欠落しており、原判決には理由不備の違法があるというべきである。

二 本件は、所得税法六四条二項の適用を受ける前提として、譲渡代金の被弁済債務が何であったのかが、弁済者である上告人らと第三者である税務当局との間で争われているものである。

弁済者である上告人らと債権者である川越市農業協同組合(当時の南古谷農業協同組合。同組合は昭和六二年一〇月川越市農業協同組合に吸収合併。以下「農協」という。)との間では被弁済債務が片岡哲哉らに対する貸付金債務(第一審判決別紙(六)(1)(2)の貸付金及び立替金。以下「貸付金」という。)に係る保証債務であったことについて争いがなく、被弁済債務は当該保証債務であったとして処理ずみであるのに(例えば、甲第四五号証の二「農協の調査回答書」、甲第七号証「貸付元帳」)、ひとり第三者である税務当局が被弁済債務について関係当事者と異なる見解を主張されているのである。

原判決は、一方で、「少なくとも農協の帳簿上においては、昭和五一年三月三一日付けで控訴人茂司が農協から本件立替金とその利息分に相当する二億五〇一三万六七七八円を借入れ、これが本件立替金の支払いに充てられた。そして同じく帳簿上、本件譲渡代金による弁済は右借入金に充当処理された」(原判決二〇枚目)と認定され、他方で、「控訴人らは、昭和五二年四月当時、農協に対して保証債務を負っていたとは認められず、かえって、前記のとおり控訴人茂司は農協に対して損害賠償義務を負い、控訴人ちよはそれを連帯保証していたのであるから、本件譲渡代金による支払は、その弁済に充てられたものである。」(原判決二二枚目)と認定され、被弁済債務が何であったと認定されているのかあきらかでない。右借入れがなされ、それによって片岡哲哉らに対する貸付金の決裁がされていたというのであれば、そもそも損害賠償債務の発生の余地はなかったのであり、損害賠償債務の弁済ということもおこりえない。

なお、原判決は、括弧がきの判断という形式で、「これ(借入)が単なる帳簿上の処理ではなく法的効果を伴うものであるとすれば、その借入は、損害賠償債務を目的とする準消費貸借契約が成立したとみる余地もあり、そうすれば、前記認定の農協の会計処理に照らし、本件譲渡代金による支払は右準消費貸借の弁済であるとも考えられる。」(原判決二二枚目)と判断を付加されている。原判決が認定されているように、借入の事実があって片岡哲哉らの貸付金の決済がなされておれば、そもそも損害が生じる余地はないのであるから(前掲更正処分(甲第四二号証の一)においても、昭和五一年三月当時上告人茂司の損害賠償債務が未だ発生していないことを自認されており、また農協からの右借入金をもって片岡哲哉らに対する貸付金を弁済したものとされている。)、損害賠償債務の弁済あるいは損害賠償債務を目的とする準消費貸借の成立とその弁済というのはナンセンスである。本件譲渡代金の被弁済債務についての原判決の認定は、理由に齟齬の違法がある。

第二 原判決には法令の解釈適用を誤った違法がある。

一 行訴法に定める訴訟手続に関する解釈適用の誤りについて

更正処分等の取消訴訟については、税務当局側に更正処分等が違法でないことについて主張責任・立証責任があるものと解されてきている(例えば、最三小廷判昭和三八年三月三日訟務月報九巻五号六六八頁等)。

本件は、上告人らが所得税法六四条二項の適用を受けられるという水野博税理士の指導、所轄の川越税務署谷沢芳夫資産税統括官に対する税務相談の結果、それに農協側の説明等に従って本件土地の売却を決断し確定申告をしたところ(甲第三号証「役員会議事録」、乙第六四号証「水野博税理士の作成にかかる譲渡資産の内訳書」、乙第八八号証「上申書」等)、同条の適用を否定する更正処分等を受けたので、この更正処分等の取消を訴求しているのであり、更正処分等の違法でないこと、すなわち所得税法六四条二項の適用を排斥したことが違法でないことについて、被上告人である税務官庁側が主張責任・立証責任を負っているものである。

しかるに、第一審判決及びこれを引用している原判決は、所得税法六四条二項に関する主張を上告人ら側の「再抗弁」と構成し、上告人ら側に主張責任と立証責任を分配・負担させている(原判決八枚目以下)。すなわち、更正処分等の理由(根拠)に関する被上告人側の主張を審理の対象として、これについて判断が示されなければならないのに、この判断が示されず、かえって上告人側の主張について判断が示されたことになっている。

この原判決の判断は、明らかに行訴法に定める基本的な訴訟手続について解釈適用を誤っており、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

税法が特に恩恵的・政策的に租税を減免しているような特別規定(例えば、繰越欠損金の控除の要件としての青色申告の承認、租税特別措置法所定の特別規定)については、原告(納税者)側が特に減免事由の存在について立証責任を負うものとされているが、所得税法六四条二項は「所得の計算の特例」ではあるが、原則的な所得計算の規定の一環であり、右にいうような恩恵的・政策的な特別規定ではない。

二 農協法三一条の二第二項等の解釈適用の誤りについて

(一) 原判決は、本件譲渡代金により弁済された債務は、上告人茂司が農協に対して負っていた損害賠償債務であると判示されているが(原判決二二枚目)、その損害賠償債務は、農協法三一条の二第二項に基づくものをいっているのか、昭和五〇年一〇月四日付債務引受契約(乙第二四号証)、同年一一月一五日付損害補てん並びに譲渡担保設定契約(乙第三〇号証)、昭和五一年一一月二一日損害補てん並びに代物弁済等契約(乙第八号証)等の契約に基づく損害補てん債務をいっているのか、原判決を仔細に検討してみても不明である。

右契約に基づく損害補てん債務は、いずれも回収ができなくなったときにはじめて損害補てん義務を負うことを定めているもので、明らかに「条件付」の損害補てん債務(仮に、農協法三一条の二第二項に基づく後述の損害賠償債務が貸付時に発生しているとしても、その要件を明らかに緩和していると解されるもの。)であり、昭和五二年四月の本件譲渡代金による弁済当時は未だ回収継続中で「条件が未成就」であったことは、「調書回答書」(甲第四五号証の二)、「昭和五一年一〇月七日役員会議事録」(甲第二四号証)などによって明らかである(現に、農協では、原判決引用の第一審判決別紙(四)ないし(七)記載のとおり、片岡哲哉らの貸付金についてその後も高利率の約定利息、約定延滞利息を継続して取立てており、その精算をしている(乙第一一八号証「貸付金の返済の経緯」、甲第一〇号証「和解調書」。原判決のような認定を受けると、関係者の会計処理を混乱させてしまい、収拾のつかない事態を招くことになってしまう。)。

契約に基づく条件付損害補てん債務を被弁済債務とされていることは、明らかに法律解釈を誤っているものといえる。

(二) 仮に、被弁済債務が農協法三一条の二第二項に基づく損害賠償債務であるとしても、それは商法二六六条所定の「取締役の会社に対する責任規定」と同様に、債務不履行に基づく損害賠償責任の特則であるので、当該損害賠償債務が成立するには損害の発生が成立要件である。

違法な侵害行為があっても、損害が発生しなければ、損害賠償債務は成立しない。そして、その損害とは、現実的な損害が発生しなければならないと解されており(大判明示三七年八月一六日刑録一〇輯一六一六頁等多数の判決)、損害賠償の範囲は、商法二六六条一項と同様に現実に農協が蒙った損害額と解されている。

しかるに、原判決は、「(農協法三一条の二第二項)の損害賠償債務はその違法支出と同時に成立し、その賠償すべき範囲は、違法支出相当額であるというべきである。すなわち、控訴人茂司は違法、無効な貸付、立替という違法な原因のない金員の支出自体に責任があるのであるから、金員の支出がこれによる損害であり、賠償義務の成立及び賠償すべき範囲については、それが各借受名義人や片岡哲哉から回収可能かどうかは無関係である。そして、その回収不能により初めて控訴人茂司の損害賠償義務が発生し、しかもその範囲は回収不能分に限られるかのような控訴人らの主張は失当である。」と判示している(原判決一三枚目)。

支出がいかに違法・無効なものであっても、支出の違法と損害の発生とは区別して法律要件の充足の有無を認定すべきであり、損害の発生とは、前掲のこれ迄の累次の判例で説かれているように、現実的な損害をいうのであるから、原判決の判断は明らかに先例と相反している。

上告人茂司の本件貸付は当時の農協の信用事業の拡張方針に沿ったものであったが、仮に違法な貸付であったとしても、貸付当時から回収不能であることが分りながら貸付を続けたものではなく、一方で信用事業を拡大させるため(甲第四五号証の二「農協の調書回答書」)、他方で回収を容易にしようとして追加貸付をしたものであり(乙第二五号証「願書」)、貸付にあたり可能な限りの担保を徴しており(乙第二六号証「念書」、乙第二七号証「引継ぎ書類預り明細」、甲第三五ないし三七号証「登記簿謄本」等)、回収の見込があるということで回収の努力が昭和五二年四月以降も鋭意続けられていたのである(例えば、甲第四五号証の二「農協の調書回答書」)。

そこで、このような貸付を一般の違法な消費支出や定款違反の政治献金等と全く同視し、貸付と同時に直ちに損害賠償債務が成立したという原判決の判断は、前掲の農協自体の会計処理(利息等の精算)とも矛盾し失当であるが、さらに上告人らは農協に対し損害を保全するために家族名義のものを含めて殆ど全部の私財を担保(昭和五〇年一一月一五日付譲渡担保設定契約(乙第三〇号証)、昭和五一年三月三一日付担保差入書(乙第三八号証)、同年一一月二一日付代物弁済等予約契約(乙第八号証)。これらの契約に基づく持分移転請求権仮登記及び根抵当権設定登記等)として提供していたのであり、本件では、この担保の一部(第一審判決の物件目録記載の土地)を任意売却してその譲渡代金を債務の弁済に充当しているものであって、これらの担保で保全されていた限度では、少なくとも現実的な損害は発生していないというべきである。

従来判例で議論されているのは、抵当権その他の担保権を侵害した場合の損害の発生の有無とその範囲である。侵害行為によって抵当目的物の価額が減少しても、残存価額が被担保債権より多ければ、抵当権者に損害はなく、損害賠償請求権は成立しないとされている(大判昭和三年八月一日民集七巻六七一頁等)。そして抵当目的物の価額が被担保債権額より少なくなってはじめて、それだけの損害が発生するが、債務者が債務を弁済したり、他の担保によって抵当権者が満足を得れば、損害はなく、損害賠償請求権は成立しないものと解されている(我妻 栄「新訂担保物件法」三八六頁、加藤一郎「不法行為」法律学全集一四九頁。侵害行為者に対して損害賠償請求権を主張できるかぎりにおいて現実の損害がないとするもの、川島武宜・判民昭和七年一〇二事件)。)。

損害賠償請求権の発生要件とされている損害について、従来から二つの考え方がある。一つは、加害原因がなかったとしたならばあるべき利益状態と加害がされた現実の利益状態の差額を損害と考える立場(差額説)であり、もう一つは、個々の法益について蒙った不利益ないし損失を損害と捉える立場(損失説)であるが、財産的損害については差額説によるほかないとされており(例えば、於保不二雄「債権総論」法律学全集(一二六頁本文および注(一))、最近の諸判例は差額説に基いて判断を示している(例えば、東京高判昭和五六年七月一七日判時一〇〇五号三二頁)。差額説に立つと一層のこと、本件において、損害を保全するために相当の担保が提供されていたことを全く考慮しないで損害の発生を認定されているのは失当といえる。

原判決が、上告人らにより損害を保全するために相当の担保が提供されていたことを認定されていながら、この担保を全く考慮せず、貸付の時点で損害賠償債務の発生を認定されているのは、損害賠償責任の特則である農協法三一条の二第二項の解釈適用を誤っているものであり、先例の解釈と明らかに相反している。

三 所得税法六四条二項、民法四八八条一項の解釈適用の誤りについて

所得税法六四条二項は、「保証債務を履行するため資産の譲渡があった場合に、求償権の全部又は一部が行使できなくなったときは、行使できなくなった金額はなかったものとみなして、所得の金額を計算する。」という規定であり、「所得(担税力)のないところには課税をしない。」という所得課税の基本原則に由来している規定である(最判昭和四九年三月八日民集二八巻二号一八六頁は、「所得のないところに課税することは許されない。」ことを明示している。

この立法趣旨を受けて、右規定は、保証債務だけではなく、物上保証(所得税基本通達六四-四(5))、担保を任意売却して債務を弁済した場合(同通達)、担保の処分と関係なく被担保債務を返済した場合(同通達)、保証債務の履行を借入金で行い借入金を弁済するために資産を譲渡した場合(同通達六四-五)、さらに法律の規定(農協法三一条の二第二項等)により損害賠償の責任を負った場合に、その損害賠償金の支払があった場合(同通達六四-四(6))も包含するものとし、右規定にいう「保証債務の履行の範囲」は、これらを広く解釈すべきものとしている。

本件譲渡代金による弁済は、少なくとも、登記簿に記載されているとおり、上告人らが主債務者を片岡哲哉らとする貸付金のために設定された担保を任意売却して弁済したものか(前掲通達六四-四(5)該当)、または農協の当初の会計処理に従い、片岡哲哉らに対する貸付金を決済するために負担した借入金を弁済するために行ったと認められるものであり(前掲通達六四-五該当)、本件弁済は、所得税法六四条二項にいう「保証債務の履行」に該当する。

上告人らは、水野 博税理士等の専門家の指導、所轄税務署への税務相談の結果に従い、所得税法六四条二項の適用を受けられるという農協関係者の説得を受けて、本件土地の売却を漸く決断し、本件譲渡代金の全額(納税のための資金を全く留保しないで)を農協に対する保証責任の弁済に充当したものであり、一方求償権の回収は不能となっているので、上告人らの本件資産の譲渡に対して課税をすることは、「所得のないところに課税することは許されない。」という所得課税の基本原則及びこれを受けて設けられている所得税法六四条二項に違反するというべきである。

原判決は、本件訴訟の提起後にされた農協の裁判上の和解(甲第一〇号証)及び会計処理の訂正(甲第六、第七号証)は、農協が上告人らの税金対策に加担するためであると認定されているが、農協は上告人らに対し本件譲渡代金には所得税法六四条二項によって税金はかからなくてすむと説明し、本件土地の売却を迫り、その代金の全額を保証責任の弁済に取り上げているのであり、裁判上の和解や訂正された会計処理は、訴訟の提起後になって上告人の税金対策に加担するために行われたものではなく、当初からの取引の実態に合致させるために行われているものである(甲第四五号証の二「農協の調査回答書」)。

なお、上告人らの本件譲渡代金による弁済については、充当の指定(乙第八七号証「農協の証明書」、甲第六号証「理事会議事録」、甲第四五号証の二「農協の調査回答書」)がされているので、部外者である税務当局の見解がどうであれ、関係者間では充当の指定に従い保証責任に対する弁済として結果が発生している(甲第四五号証の二「農協の調査回答書」)。この点での原判決の見解は、民法四八八条一項の解釈適用を誤っているものといえる。仮に上告人らの弁済が誤って損害賠償債務の弁済に充てられたとしても、農協法三一条の二第二項の規定により損害賠償責任を不本意にも負わされ、賠償金を支払、その求償権の回収が不能であるときにも(前掲通達六四-四(6)該当)、所得税法六四条二項が適用されるべきである。原判決の判断は、同条の解釈適用を誤っているものである。

第三 総括

本訴は、更正処分等の取消訴訟であり、更正処分等の理由(根拠)は附記理由に示されており、本訴でも被上告人署長はこの附記理由をそのまま維持しているのに、その理由の当否に関する原判決の審理判断には不備・齟齬があり、原判決はまずこの点において取消しを免れないものである。

また、本件は、農協と上告人らとの関係者間では、本件譲渡代金の弁済を保証人兼物上保証人からの弁済として受入れ、そのように会計処理を済ませているのに、部外者である税務当局がひとり保証債務等の成立を争い、被弁済債務について関係者の会計処理と異なる主張をされている全く異例の事例である。

更正処分等取消訴訟については、更正処分等を行った税務署長側に主張責任・立証責任があるとされているのに、原判決は、所得税法六四条の二項の適用を否定した本件更正処分について、その適用を否定したことが誤りであることにつき(つまり、更正処分等の理由の当否ではなく、同条の要件を充足していること)、上告人ら側(納税者側)に主張責任・立証責任を負担させ、上告人側に不利に判断をしている。この原判決の判断は、行訴法に定める主張責任・立証責任についての解釈適用を誤っているものであり、この法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかなものである。

つぎに、原判決は、関係者の会計処理を無視して、本件譲渡代金は損害賠償債務に充当されたと判断しているが、その損害賠償債務とは条件付き損害補てん契約に基づくものをいっているのか、それとも農協法三一条の二第二項に基づくものをいっているのか不明である(農協法三一条の二第二項に基づく損害賠償債務は、右補てん契約により「条件付」とされ、発生要件が緩和されている。)。いずれにしても現実の損害が発生していないのに、損害賠償債務の成立を認め、これを被弁済債務としているが、このように不特定な損害賠償債務について、しかも現実の損害の発生もないのに損害賠償債務を被弁済債務と認定されているのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反というべきである。

所得税法六四条二項所定の保証債務の履行は、保証債務のほかに各種の他人のための負担の履行を包含しており、「所得のないところには課税をしない。」という所得課税の基本原則に由来している規定である。本件譲渡代金の弁済は、少なくとも他人のために提供されていた担保の任意売却による弁済か、または農協からの強い要請あるいは法律の規定によって不本意に負わされた責任を履行するためにされた弁済であり、充当指定により片岡哲哉らに対する貸付金に係る保証責任の弁済に充てられ、そのように会計処理もされているのであるから、本件弁済について所得税法六四条二項が適用されるべきである。

本訴は、本件譲渡代金の弁済が更正処分等の理由にいう借入金に充てられたものでないことを明らかにすれば足りるのであるが、さらに被上告人署長が主張しているような損害賠償債務も存在しないとすると、農協の会計処理や一連の取引に照らしてみて、その被弁済債務は片岡哲哉らに対する貸付金に係る保証責任の履行にほかならないものというべきである。原判決が認定されているように、埼玉県農林部の認定検査等を受けて、上告人茂司が多くの役員(理事、監事)うちで不条理・不本意にも只一人だけ責任をひきかぶらされることになり、上告人らが最初に農協に提出したのが昭和五〇年七月一四日付約定書(乙第一八号証「万一損害を与えた場合は私財をもって填補する旨の確約書」)、同年一〇月四日付約定書(乙第二四号証)である。これらの約定書の骨子は、回収できない貸付残金及び貸付利息については保証の趣旨で債務を引き受けるというものであり、これらの約定書の大枠の中で、担保の提供を確保する目的で、昭和五〇年一一月一五日付「損害補てん並びに譲渡担保権設定契約書」(乙第三〇号証)、昭和五一年三月三一日付「担保差入書」(乙第三八号証)、同年一一月二一日付「損害補てん並びに第物弁済予約等契約書(乙第八号証)が締結され、これらの契約等に基づいて、まず昭和五〇年一二月二〇日受付で所有権移転請求権仮登記(甲第四一号証「登記簿謄本」、乙第五一号証「昭和五一年一〇月九日付上申書」)が設定されているのである。原判決は、「根抵当権の設定は、控訴人らが農協担当者に働きかけて契約に反する登記申請を行った結果であると推認される」旨の認定(原判決一八枚目)をされており、その推認の根拠とされているのは、「栗原亀蔵の昭和五七年三月一三日付の供述書」(乙第一一九号証)とうかがえる。しかし、これは、税務当局が上告人らの審査請求後に書かせた非公式の書類の一つであり、実際は、本件担保の土地の大半が「農地」であったために農地法の制約を受け、譲渡担保の登記を直ちにすることができなかったためやむなく大物弁済予約の仮登記に切り替えたものであり、契約に反する登記を実施したものではなく、また農協の役員会議事録にも記載が残されているように、上告人茂司は昭和五一年一〇月七日以降農協に辞表を預けていて発言力を全く喪失していたので、上告人茂司が農協の担当者に働きかけて契約に反する登記申請を行えるような状況ではなく(仮に誤った登記申請がされてもすぐに訂正を受けるような状況下にあり(根抵当権の設定の受付日は、昭和五二年三月一七日である(甲第四一号証「登記簿謄本」))、むしろ逆に上告人茂司から少しでも厳しく財産を取立てようとしていた状況下にあったといえる。右原判決の認定は、登記申請の実態や上申書(乙第五一号証)等にも明らかに矛盾しており、客観的事実の裏づけを欠いている供述書に依拠しているものといえる。

それで、本件譲渡代金による弁済は、片岡哲哉らに対する貸付金に係る保証責任の履行か、仮にそうでないとしても農協で当初に会計処理がされたように「保証責任の履行のために負担した借入金」(甲第一号証「昭和五一年三月三一日付借用証書」。その借入金の使途は、同号証に記載されているとおり、片岡哲哉らに対する貸付金の弁済)の弁済に充てられたものであり(所得税基本通達六四-五該当)、被弁済債務が損害賠償債務というのは取引の経過と全く遊離しているといえる。

本件について所得税法六四条二項の適用を排斥している原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある。

以上のとおり、原判決には理由不備・理由齟齬の違法があり、また判決に影響も及ぼすことの明らかな法令違反があるから、すみやかに原判決を取消し、相当の判決がなされることを求める。

以上

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